最悪と思う事態も、上手くいっていると思うことも、その先の結果は誰にも予測できない。
ただ、その状況は自分がした行動によって今起きていることに過ぎない。
結果よりも、今なにをするかが大事。
マハーバーラタ(インド叙事詩より)
王様の娘と導師の娘は親友だった。
ある日、二人は池で泳いで遊んでいた。そのあと、急いで着替えようと、導師の娘が、間違って王様の娘の服を着てしまった。王様の娘は、服を取られたと思って激怒する。そして、導師の娘を井戸に突き落とし 、怒りながら家に帰った。導師の娘も夜遅くに、やっと家に帰ることができた。そして、父に今日の王様の娘の出来事を泣きながら話した。導師は、王様の娘を懲らしめてやると約束した。王様に、「娘の行為に謝罪しない限り、王様の為に祭式は一切行わない。」といった。祭式を行わないということは、神々に対して無力になってしまうので、王様は、「それは困る。祭式はしてほしい」と、導師に懇願した。導師は、「再開してもいいですが、あなたの娘を罰して、私の娘の侍女にしてください。そうしたら行います。」と言った。王様は、導師の言うことに同意するしかなかった。こうして、王様の娘は導師の娘の侍女として仕えることとなる…だけれども、この後、この屈辱は福へと転じるのである...
井戸に落ちた導師の娘を助けてくれたのは、ある国の王子様だった。
導師の娘はこの王子様と結婚することになり、王様の娘も侍女として一緒に連れていく。
ある日、王様の娘が王子様の目にとまり、お互い一目ぼれして恋仲になっていく。これに気づいた導師の娘は激怒し、父に王子様(夫)に呪いをかけてくれるように頼む。父は娘の為に呪いをかける。それは、性的不能、老衰になる。という呪いだった。でもこの呪いで一番苦しむのは、導師の娘だった。年老いた王子様との間に子どもができないようになってしまう,,,
と、話はまだまだ続くのだけれども,,,w
自分の行いがどう返ってくる来るかは、誰もわからない。
導師の娘は、不運にあったけれど結婚できた、
王子様の娘は、侍女として屈辱を受けるけれども、運命の人に出会うことができた。
導師は娘の為にと、呪いをかけたけれど、娘を苦しめる羽目になる。
物語では「カルマ」行為の結果を教えてくれている。
何をするかでその先が変わる。今起きていることも、今そうなったのではなく、
自分のしてきたことが形になっている。
それは、悪い意味でも、いい意味でもなく、自分の行いから生まれたもの。
だから、今何をするかで、その「カルマ」を人生を変えることが出来る。
今が最悪な状況でも、それは最悪ではない。次につながるための過程。
それを自分で変えていくことができる。より良くなるにはどうしたらいいか、今できる最善を尽くすこと。
マスター・スダカーが
「カルマ ヴィナイ」起きた状況に反応して生まれるカルマについてお話をしてくださった。
マインドが同じことを繰り返すとき、「カルマ ヴィナイ」を生み出していると。
嫌なことされたから仕返しする。
苦手、できないからやらない。
上手くいかないから諦める。
すべきことをしなかったとき、後悔すること。
とか…
過去にしてきたことだから、今の状況は変えることはできない。
でも、今ここから先は、どうありたいか変えることが出来る。
ヨガを通して、何が正しく、何が起きてほしくないカルマを生み出しているのかを、
マスター・スダカーがひも解いてくれる。
人生を学ぶヴィジョン オブ ヨガライフ ミットラ
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